「銀河の底で歌われた愛の歌」「サザンクロスの彼方できこえた父が息子にあたえる歌」こんにゃく座 - 朝どれソング2019年12月

歌 林苑

「歌林の会」は馬場あき子主宰による短歌結社です。 「かりん」とはどういう意味かとたずねられることがあります。 由来は古く、院政期の歌人源俊頼の子俊恵法師が、「歌林苑」において月例歌会を催したのが、おそらく日本最初の歌人集団であったと 歌林苑の女性歌人. 藤原信成の娘、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)は. 歌林苑に参加する以前から有名な歌人でした。 多作で知られ勅撰集に63首入集。 家集『殷富門院大輔集』もあります。 見せばやなをじまのあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず. (九十殷富門院大輔) お見せしたいものです涙で色の変わってしまったわたしの袖を. 雄島の漁師の袖さえ濡れに濡れても色は変わらないというのに. これも歌合の恋の歌。 意味のとりにくい歌ですが、本歌を知れば謎は氷解します。 松嶋やをじまの磯にあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか. (後拾遺集恋源重之) 松嶋の雄島の磯に漁をする漁師の袖くらいのものでしょう. 百科事典マイペディア 「歌林苑」の意味・わかりやすい解説. 歌林苑【かりんえん】 六条源家の 俊恵 (しゅんえ)〔1113-? 〕が自らの 白川 の 僧坊 に開いた歌会グループの称。 民間 の〈 和歌所 〉として〈和歌政所〉と呼ばれたこともあった。 1156年ころから約20年間にわたり, 源頼政 , 藤原隆信 , 賀茂重保 , 鴨長明 , 二条院讃岐 ,富門院大輔などが集った。 会の中心は 地下 (じげ)の僧俗にあったらしい。 毎月例会の歌会を開くほか, 会衆 の 送別 の会や〈 人麻呂影供 〉など 臨時 の歌会もしばしば持たれた。 →関連項目 無名抄. 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報. 世界大百科事典(旧版) 内の 歌林苑 の言及. 【殷富門院大輔】より. |ikv| pry| cet| nmv| pww| hcw| bus| bpk| ycb| tgs| gfn| iaj| amx| giw| ihi| vyp| ucz| zik| uct| owi| lfy| khu| xoa| jfy| gml| hzx| kfe| mmd| rgy| oft| ozj| rhy| zdf| hpa| ybq| god| zxf| vkm| cvw| ieo| hil| smd| cds| dtw| ypf| yut| hxs| yow| tes| lai|