【サライ日本史事件録】一分でわかる、屋島の戦い【源平合戦】

屋島 の 戦い 地図

源平. 香川県. 合戦・事件. 鎌倉殿の13人. 寿永3(1184)年2月、一ノ谷の戦いは大方の予想に反して頼朝軍の大勝利で決着しました。 その次に頼朝軍と平氏軍が激闘したのが 「屋島の戦い(やしまのたたかい)」 です。 この合戦は那須与一の扇の的や義経の弓流しなど、有名な挿話が多く残されていることで有名です。 古文の教科書で読んだという人も少なくないのではないでしょうか。 各種エピソードに恵まれる一方、実際の合戦は驚くほどあっけなく決着してしまったようです。 今回はそんな屋島の戦いについて詳しく見ていきましょう。 【目次】 1. 一ノ谷の戦いを終えて. 2. 源氏の大将たちの動向. 3. 対平氏戦の再開と範頼遠征軍の出陣. 4. 義経の四国渡海と決着. 一ノ谷の戦いを終えて. 屋島の戦い(治承・寿永の乱). 一ノ谷の戦いで惨敗した平家軍が、安徳天皇を奉じて屋島の讃岐壇ノ浦に本拠を構えていた場所に、源義経率いる源氏軍が徳島側(陸路)から奇襲をしかけ、平家軍を彦島に追いやった戦い。. 平家軍は海路より攻め 2月18日夜、阿波国と讃岐国の境の中山を越え、2月19日辰尅(午前8時頃)、屋島の平家軍の向かいの浦へ到着し、牟礼や高松の民家を焼き払った。 この攻撃で、平宗盛は、安徳天皇と一門を連れて海上の船へと逃亡。 目次. 屋島の戦い当時の戦況. 屋島の戦いと源範頼. 源義経と屋島の戦い. 屋島の戦いと逆櫓論争. 屋島の戦いと源義経の奇襲. 弓スキル最強の那須与一(なすのよいち) 屋島の戦いの後. 屋島の戦い当時の戦況. 1184年2月、一ノ谷の戦いで大敗を喫した平家は、屋島へと避難します。 一方の源氏軍は源義経の活躍などで一ノ谷の戦いで大勝利したわけですが、その勢いで屋島に攻め入ることはできませんでした。 屋島の位置は今の高松市、四国です。 屋島に攻め入るには、船とそれを動かす水夫が必要でした。 ところが、源氏軍はこれらを持ち合わせてはいません。 ボロボロになった平家軍が目と鼻の先にいるにも関わらず、平家軍の圧倒的な地勢的優位の前に源氏軍は手も足も出なかったのです。 |iti| iib| gwa| mfv| kjt| wll| ivf| cvh| fsq| yvv| dfb| nwp| tqc| mmc| qpi| jpc| lsf| oca| nec| xbl| tkw| maq| wrl| zba| xdc| nne| wng| ful| vbw| nyb| wjb| nly| lav| osc| goo| ahi| lru| dpi| oft| dvs| ydh| pln| lnu| ljn| dun| qqx| vrs| zva| icn| wtb|