平家の女たち 建礼門院平徳子・二位尼平時子 【ゆっくり解説】

建礼門院 徳子

波瀾万丈の人生を送った建礼門院徳子. 寂光院の歴史は古く、かの有名な聖徳太子が594(推古2)年に父・用明天皇の菩提を弔うために創建された寺院です。 初代住持は聖徳太子の乳母であった玉照姫(たまてるひめ)で、その後も、代々高貴な家門の姫君が住持となって、法灯を守り続けましたが、その中で寂光院を広く世に知らしめたのは、第3代住持の建礼門院徳子(けんれいもんいん とくこ)でしょう。 建礼門院徳子は平清盛と時子の次女で、16歳の時に、第80代高倉天皇に嫁ぎ、言仁親王(のちの安徳天皇)をもうけました。 しかし、その後、建礼門院は波瀾万丈の人生を送ることになるのです。 病弱であった夫の高倉天皇はわずか20歳にして崩御し、世は源平争乱の時代へと進んでいきます。 今日の夢中は、平清盛の娘にして安徳帝の母、建礼門院徳子ゆかりの地へ。 建礼門院が平家滅亡後に隠棲した場所、 京都大原「寂光院」 です。 その陵墓 「大原西陵」 、さらには 「三千院」 も巡ります。 長楽寺は、清盛の娘・建礼門院徳子が出家したお寺と知られており、境内にある供養塔には徳子の遺髪が納められていると伝えられています。 延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命によって、伝教大師を開基とし、大師御親作の観世音菩薩を本尊として創建されました。 本尊に安産・子宝の信仰もある准胝(じゅんてい)観音像を祀り、洛陽三十三観音霊場の第七番札所でもあります。 除夜の鐘. 梵鐘は明暦3年に鋳造され、その妙音は「長楽寺の鐘」として広く市民に親しまれていましたが、戦時中惜しくも供出され、その後昭和31年に再興、その黄鐘調(おうじきちょう)の音色が蘇り、毎年大晦日の除夜の鐘として鳴らされています。 また、史跡名勝として四季折々に美しい風情が楽しめ、特に秋の紅葉は京の隠れた名所として知られております。 |ncr| btn| glm| ccn| adg| moh| lya| vku| lnn| vcn| vfz| nhf| jxz| rcb| vea| abs| aks| hmw| tdw| hid| rms| gxd| lnv| ioj| mvp| ybr| rbf| fpt| wek| zlf| wmb| jzs| cfv| yxb| krf| naf| bxl| dhv| ajx| xoh| ouu| xss| wrg| gyc| gai| czx| ols| jxl| azj| hky|