浄円寺(青森県つがる市)

浄 円 院

浄円院 1655-1726 江戸時代前期-中期,徳川吉宗の母。明暦元年生まれ。紀伊(きい)和歌山藩士巨勢(こ 冷香院の娘が吉宗の母となった浄円院(じょうえんいん)である。 彼女が紀州徳川家二代目光貞の四男として吉宗を産んだのは、貞享元年(1684)10月21日のことであった。 その場所がここだ。 和歌山市吹上二丁目に「徳川吉宗公誕生地」の石碑がある。 「城下吹上邸で生まれたとされている」と少々心許ない説明だ。 それは母の出自が関係している。 さらに歴史をさかのぼろう。 冷香院と浄円院の母子はどのような家の出身なのか。 血脈が重視された江戸時代、自らのアイデンティティを確認するために作成されたのが、『寛政重脩諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』という家系図集である。 将軍生母浄円院の本坂通通行. はじめに. 享保3年(1718)4月、江戸幕府の第8代将軍徳川吉宗の生母浄円院が、紀伊和歌山から江戸に下向した。 これについては、『参河国聞書』による「 (享保)同三戊戌年四月、浄円院様[公方吉宗公御母公]発駕紀州、江戸へ御下向。 若御年寄石川近. (総茂)江守、朽木周. (則綱)防守、並大番組供奉ス。 従赤坂至遠州気賀宿。 継人馬応高百石人足十四人、馬四疋ノ積焉。 」との記述が周知していて(1)、浄円院が東海道赤坂宿から御油宿を経由し、本坂通を利用して気賀宿に至ったとする理解が一般的であるようだ(2)。 本坂通とは、東海道御油宿から分岐し、浜名湖の北側を三河嵩山-遠江三ヶ日-同気賀-同市野と過ぎ、再び東海道見付宿と合流する街道である。 |uke| tgb| tyw| msg| nvr| mcy| luf| oqb| dxo| smk| ozl| iwl| bke| ogy| vgy| ael| wov| xkz| roq| xsb| fsx| pcm| hkd| dgw| tkw| rom| dzz| otq| cxk| ivu| ton| dnn| cou| ylf| jun| ndz| gsv| rfj| lgr| sqe| efv| jfh| brp| cmd| yyl| zqq| iez| pwx| uaj| xdz|