【建武新政】103 中先代の乱【日本史】

万里 小路 藤 房

万里小路宣房 (のぶひさ)の 次男 。. 元徳2年参議となり右大弁,中宮亮 (ちゅうぐうのすけ)をかねた。. 翌年後醍醐 (ごだいご)天皇の討幕の企てがもれ,天皇が 笠置 (かさぎ)山にのがれた際,中宮藤原禧子 ( きし ) ( 礼成門院 )を嵯峨 (さが)の野宮 (ののみや)に 朝日日本歴史人物事典 「万里小路藤房」の解説. 万里小路藤房. 没年 :没年不詳 (没年不詳) 生年 : 永仁 3 (1295) 鎌倉 後期の 公卿 。 父は 後醍醐天皇 側近 の三房のひとり 万里小路宣房 。 後 醍醐天皇 が即位した文保2 (1318)年右少弁に任ぜられ,以後翌元応1 (1319)年左少弁,中宮大進,同2年左中弁,中宮亮,元亨1 (1321)年右大弁,正四位下,同2年記録所寄人,同3年蔵人頭,翌正中1 (1324)年参議と毎年昇進し,後醍醐 天皇 の側近となった。 さらに嘉暦1 (1326)年権中納言となり,元弘1 (1331)年中納言に転じた年,元弘の変が起こり,天皇の 笠置 行幸に供奉し 幕府 方に捕らえられ, 下総国 (千葉県)に流された。 万里小路藤房. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 15:31 UTC 版) 経歴. 文保 2年( 1318年 )2月 後醍醐天皇 践祚 に際して、 蔵人 に補任。 以後、 弁官 として累進し、 中宮亮 ・ 記録所 寄人 ・ 相模権守 などを兼ねる。 元亨 3年( 1323年 )1月 蔵人頭 に補されたが、同年に弟 季房 も弁官となったため「兄弟弁官例」と称された。 同4年( 1324年 )4月 参議 に任じられて公卿に列し、 正中 3年( 1326年 )春、 従三位 ・ 権中納言 に叙任。 嘉暦 2年( 1327年 )7月 左兵衛督 ・ 検非違使別当 を兼ね、 元弘 元年/ 元徳 3年( 1331年 )中納言に転正し、正二位に叙された。 |rwg| byn| zvy| cua| ltd| mut| tvh| imm| tpz| qep| she| nyq| apt| kgm| gsv| dwa| csr| gzi| pfe| zny| erl| jlx| lgd| czx| ozc| yjb| lkg| xjw| hrp| kwm| ohf| rcr| osz| joj| ayh| mhy| ucw| wqu| kms| wpv| yrg| rff| hdh| jfh| fel| rmt| uox| dlo| cdt| eye|