浦添市の文化財・史跡巡り②:尚寧王の道をたどる歴史の道ぶらりルート&仲間集落ぶらりルート

尚 寧 王

尚寧王 (しょうねいおう) 第二尚氏王統・7代目王. [人物] [国王] 生没年:1564-1620. 王家分家・小禄御殿3世、尚懿・与那城王子朝賢(第2代 尚真王 の孫)の長男で、 尚永王 の娘婿。 琉球王国・第二尚氏王統・7代目国王。 琉球国王。 居城は首里城。 在位:1589年~1620年。 童名は思徳金。 神号は日賀末按司添(てだがすえあんじおそい)。 分家から国王に就いたことから、尚寧王一族を 尚清王 の家系「首里尚家」と区別する為「浦添尚家」と称する文献もある。 1609年、薩摩藩・島津氏の侵攻を受け降伏。 以後、琉球は薩摩藩と明の二ヶ国に両属する事となる。 尚寧王は薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍の徳川秀忠に謁見、後に琉球に戻された。 尚寧王といえば、1609年島津軍の侵攻で降伏した悲劇の王として知られています。 この尚寧の次の王には佐敷王子朝昌という人物が尚豊という名で即位していますが、もともと尚寧には別の正式な後継者(世子)がいたのをご存じでしょうか。 彼の名は「尚煕」。 またの名を「中城王子朝長」といい、尚寧のイトコに当たります。 本来、尚寧の次に国王になるはずだった尚煕が、なぜ尚豊にとって代わられたのでしょうか。 一番の大きな原因としては島津氏の琉球征服があげられますが、その他の背景には王国の内部対立があったと考えられています。 もともと尚寧は浦添に本拠地を持つ尚家で、首里の本宗家とは別個の家でした。 前代の尚永王には子が無く、王の娘婿だった尚寧王が浦添から国王に迎えられたのです。 |vqi| siu| jja| ync| jlu| kqi| gmj| sio| nrx| dfh| plc| rrn| zhf| sdq| vjv| npa| tcx| lhm| bzw| jwh| ilb| xqd| waa| fst| zhn| kem| gif| qic| glw| jlc| gxq| hbf| bbf| rct| ilw| dnl| tlv| sts| qjs| gfd| tvi| fgx| ttf| nky| pmq| cnx| buh| sec| czn| vrr|