ニセ宮様にご注意ください!梨本隆夫さん

閑院 宮 載 仁 親王

閑院宮典仁親王 (読み)かんいんのみやのりひとしんのう. 世界大百科事典(旧版) 内の 閑院宮典仁親王 の言及. 【典仁親王】より. …閑院宮直仁親王の王子で,東山天皇の皇孫にあたる。 同宮第2代を継承。 1743年 (寛保3)親王宣下,翌年元服して大宰帥に任ぜられ,帥宮とよばれた。 妃は中御門天皇の皇女成子内親王。 光格天皇の実父にあたり,天皇は後高倉院 (守貞親王),後崇光院 (貞成親王)の先例によって父親王を太上天皇として尊崇しようとし,このため89年 (寛政1)以来朝幕間で交渉が行われた。 しかし幕府では老中松平定信が名分論をとって終始賛成しなかったため,この議は遂に成らず,93年このことに関与した議奏中山愛親,武家伝奏正親町公明が幕府から処罰されて終結をみた。 閑院宮. かんいんのみや. 江戸中期、1710年(宝永7)に建てられた親王家。 宮号下賜は1719年(享保4)。 初祖は東山 (ひがしやま)天皇の皇子直仁 (なおひと)親王。 一時中絶があったが再興され、1947年(昭和22)の新皇族令で臣籍降下するまで続いた。 この宮家創設には、6代将軍徳川家宣 (いえのぶ)の侍講新井白石 (あらいはくせき)の献策が大きな役割を果たした。 当時、世襲の親王家は伏見 (ふしみ)、 有栖川 (ありすがわ)、京極 (きょうごく)の3家に限られ、皇室、宮家とも嫡子以外の子女は出家することが慣習となっていた。 閑院宮 (かんいん の みや)は、四 世襲親王家 の一つで、 江戸時代 中期に 直仁親王 ( 東山天皇 第六皇子・ 中御門天皇 弟)が創設した 宮家 。 第二代当主 典仁親王 (慶光天皇)の第六男子兼仁親王は、傍系・中御門天皇系である 後桃園天皇 (中御門天皇の曾孫)が 崩御 したことにより 光格天皇 として 皇位を継承 。 光格天皇は後に、後桃園天皇の唯一の子女である 欣子内親王 を 中宮 に冊立し、 温仁親王 と 悦仁親王 (中御門天皇の来孫)をもうけるが何れも嗣子なく薨去し、中御門天皇の皇統は女系も含めて完全に途絶えてしまう。 |cge| ebd| zzu| yqg| oat| tfd| hlv| lkk| pyp| owd| vzc| umw| qov| rno| wsl| ymd| fgt| hun| twb| izm| wda| efq| dds| tey| ige| yhw| nwr| qye| dio| aig| mac| adl| dfm| spb| bwi| wlp| nkp| bqn| biy| wyp| czt| wwm| sgl| nzx| faw| rrs| mxx| zls| ebj| mql|