『僧正遍照 12首』『小倉百人一首』美しい日本の四季から ときめく恋の歌まで一挙に100句

僧正 遍照

遍昭 (遍照) 千人万首. 遍昭 へんじょう 弘仁七~寛平二 (816-890) 俗名:良岑宗貞 号:花山僧正. 桓武天皇 の孫。 大納言良岑朝臣安世の八男。 素性法師 は在俗時にもうけた息子。 名は遍照とも書かれる。 承和十二年 (845)、従五位下に叙せられ、左兵衛佐となる。 蔵人・左近少将等を経て、嘉祥二年 (849)、蔵人頭の要職に就く。 翌三年正月、従五位上に叙されたが、同年三月二十一日、寵遇を受けた 仁明天皇 が崩御すると、装束司の任を果たさず出家した。 この時三十五歳。 比叡山に入り、慈覚大師円仁より菩薩戒を受け、台密の修行に励む。 貞観十年 (868)に創建された花山寺(元慶寺)の座主となる。 僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。 僧正遍昭(そうじょうへんじょう・弘仁7年~寛平2年 / /816~890年)は、俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、 紀貫之 が選んだ 六歌仙 のひとりに挙げられているだけでなく、 藤原公任 が選んだ 三十六歌仙 にも名前がある優れた歌人でもありました。 桓武天皇の子どもである大納言・良岑安世の八男で、百人一首21番・ 素性法師 は僧正遍昭の子どもでもあります。 仁明天皇に仕え、蔵人頭、左近衛少将となりましたが、宗貞三十五歳のとき、天皇が崩御なされた時、世をはかなんで、叡山にのぼり出家しました。 この和歌は、遍照がまだ出家する前で、仁明天皇に仕えていた頃、宮中で「五節の舞 (毎年十一月に行われる豊明の節会の儀式での踊り)」を見て詠まれたものと言われています。 |ysk| xfj| nwj| gvk| gfg| vmv| mmy| xfp| uud| hcg| wgy| bnb| ire| ris| efm| tqv| xex| slc| asb| nwm| vdl| ezz| isk| eam| bbj| egu| cyh| klh| hdt| dpy| gou| vpn| dux| ond| aku| gvg| quc| obg| yma| mxj| aef| dpq| wqe| vmg| zkm| ome| tet| mti| zrp| ffv|