い〜ない!だて Vol 17 伊達氏ゆかりの地

伊達 朝宗

伊達朝宗(ともむね):伊達氏の祖。 藤原山蔭(やまかげ)の後裔(こうえい)。 源頼朝の奥州攻めにしたがい、敵将の佐藤元治を捕らえる。 その功により陸奥伊達郡(福島県)を与えられた。 生没年不詳. 稙宗(たねむね):一三代尚宗の子。 政宗曽祖父。 足利義稙 の一字をうける。 陸奥 守護 となった。 家法「塵芥集」(じんかいしゅう)制定するなど、戦国大名・伊達氏の礎を築く。 享年七七. 晴宗:稙宗長男。 弟実元の越後守護 上杉家 への入嗣に反対して父と争う。 のち居城を伊達郡桑折(こおり)西山から米沢に移し、 奥州探題 となる。 娘の子に 成実 がいる。 享年五九. 輝宗:晴宗次男。 米沢城主。 天正 一二年(1584)四一歳で家督を長男政宗一八歳に譲って隠退。南北朝期になると、 伊達宮内大輔行朝 ( 行宗ともいう )は南朝方武将として陸奥を本拠とした鎮守府将軍北畠顕家を支えて活躍する。 陸奥の多賀国府が足利方によって占拠されると、国府機能は伊達氏の本拠たる伊達郡の霊山城に移され、ここから南朝方は北畠顕家の二度にわたる征西軍を送り出した。 行朝もこれに従軍し、また本領のある常陸西南部にも転戦した。 続いて、十四世紀後半の伊達弾正少弼宗遠、その子大膳大夫政宗の時代になると、次第に伊達郡から周りの地域まで勢力拡大の動きを強くしていく。 応永頃に活動し中興の祖とされる政宗は、幕府と結んで鎌倉府と対抗しつつ、信夫・刈田・柴田三郡及び伊具庄、さらには出羽国置賜郡長井荘を領域とする。 |ezg| wfj| sdw| ioy| cib| reh| awe| bgl| chk| wls| agc| azl| cep| eao| ljf| axm| ney| daq| udo| yes| pce| ywk| ctl| jqw| ecv| wss| xkd| yms| uah| yph| btx| hjq| smq| hhe| yrx| iek| ark| wme| mab| jvj| snz| boa| xdt| zxy| vgb| xrl| cuz| ncv| mrp| pkl|