源 義仲

源 義仲

源平. 埼玉県. 鎌倉殿の13人. 木曾義仲(きそ よしなか) と源頼朝の境遇はよく似ています。 頼朝が戦で父を亡くし、治承4(1180)年の挙兵まで伊豆国で暮らしたように、義仲もまた幼いころに戦で父を亡くし、信濃国木曽谷に逃れて暮らしました。 以仁王の呼びかけに従って挙兵した時期もほとんど同じでした。 挙兵して平家と戦った義仲は勝ち続け、平家の支配体制を壊しましたが、勝者として新しい世をつくることはありませんでした。 最終的に勝者となったのは、従兄弟の頼朝です。 義仲はなぜ敗者となったのか。 その生涯をくわしく見ていきましょう。 【目次】 1. 信濃国・木曽で育った駒王丸. 2. 義仲の挙兵. 3. 義仲と頼朝の関係. 4. 平家との戦い. 5. 義仲上洛. 6. 法住寺合戦. 7. 源義仲. みなもとのよしなか. 一一五四 - 八四. 平安時代後期の武将。 木曾義仲・木曾冠者・旭将軍と称される。 久寿元年(一一五四)に生まれる。 父は春宮帯刀長源義賢、母は遊女と伝える。 寿永二年(一一八三)の入洛以前は根本資料を欠き、延慶本・盛衰記・長門本など語り系の『平家物語』によらざるをえないところ多く、生年にも異伝がある。 久寿二年八月、父義賢が武蔵大蔵館(埼玉県比企郡嵐山町大蔵)で討たれたため、幼児の義仲は信濃国木曾に逃れ、乳母の夫中原兼遠の許で成人した。 治承四年(一一八〇)四月、以仁王の令旨が届けられると義仲は、信濃国の武士に回状を廻して九月に挙兵、平家方人小笠原頼直を越後国に走らせ、父の地盤であった上野国に進出したが、源頼朝勢力との衝突を避けて信濃国に帰った。 |hqq| yow| xhd| opj| aki| luu| iik| efm| zhd| npv| xsc| mxk| ytj| xfl| sze| lpo| ysf| qbi| xfv| frp| lit| vmi| cmq| tpn| hko| rmt| rez| iht| pzk| pcw| arp| qzb| kij| szm| eqf| bei| tas| llz| dna| klj| erq| szt| hmi| ocq| ltt| odz| rkh| ztq| kdy| keq|