平山 五郎
平山 五郎. 没年 文久3年(1863)9月18日. 副長助勤。 芹沢鴨らの水戸派の人物。 芹沢鴨と共に八木邸で暗殺された。 河合 耆三郎. 没年 慶応2年(1866)2月12日. 勘定方。 帳簿で不始末を起こし、処刑されたといわれる。 墓碑は河合の親族が建立したものである。 阿比原 栄三郎. 没年 文久3年(1863)4月6日. 副長助勤。 「阿比留鋭三郎」とも言う。 病死したとも暗殺されたとも言われている。 田中 伊織. 没年 文久3年(1863)9月13日.
新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【四】 時は幕末・文久三1863年、晴れて会津藩(京都守護職)のお預かりとなった壬生浪士組(みぶ ろうしぐみ)は、武士らしい体裁を整えて、それまでの内輪もめ(水戸派VS試衛館派)を解消するべく努力していました。 しかし、そんな中で筆頭局長である水戸派のボス・芹沢鴨(せりざわ かも)が次第に暴走を始めてしまいます。 芹沢の片腕として活躍していた隻眼の剣術家・平山五郎(ひらやま ごろう)は、芹沢を止めることが出来るのでしょうか。 治安維持で来た筈が……大阪で乱闘事件. さて、文久三1863年6月、壬生浪士組が不逞浪士を取り締まるため、京都から大阪に出張していた時のことです。 芹沢たちが市中を見回っていた時、前方から小野川部屋(力士)の一団がやって来ました。
そんな壬生浪士 (新選組)のメンバーだが、当初は京都残留を希望して会津藩へ嘆願書を提出したのが芹沢鴨、近藤勇、新見錦、粕谷新五郎、平山五郎、山南敬助、沖田総司、野口健司、土方歳三、原田左之助、平間重助、藤堂平助、井上源三郎、永倉新八、斎藤一、佐伯又三郎、阿比留鋭三郎の17名で、そこに殿内義雄、家里次郎、根岸友山、遠藤丈庵、神代仁之助、鈴木長蔵、清水吾一の7人を加えた24名が、文久3年 (1863)3月15日、正式に会津藩の配下となった。 もっともこのメンバーで活動した期間は短く、3月25日に殿内が暗殺されると、根岸一派らは京都を離れ、近藤、芹沢の一派が実権を握る。 殿内義雄~壬生浪士組最初の粛清.
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