【ゆっくり解説】清和源氏(徳川の祖・その①)

源 頼政 系図

源頼資 ( 源頼国 次男)の系統. 溝杭氏 、 平岡氏 など. 源頼綱 (源頼国五男)の系統. 源明国 (源頼綱長男)の子孫- 多田氏 、 能瀬氏 、 野瀬氏 、 手島氏 、 倉垣氏 、 昆陽野氏 、 余野氏 など. 源仲政 (源頼綱次男)の子孫- 馬場氏 、 太田氏 没年:1180年 (皇紀1840)治承4年5月26日. 享年:77. 父親:源頼綱の次男 兵庫頭源仲政. 長男. 母親:藤原南家貞嗣流の藤原友実女. 官位:従三位. 号:馬場. 別称:馬場頼政(ばばのよりまさ). 通称:源三位(げんざんみ). 源氏の名門・摂津源氏の系図に繋がる男. 源頼光に繋がる系図. 長治元(1104)年 、源頼政は摂津源氏・源仲政の長男として生を受けました。 生母は藤原友実の娘と伝わります。 摂津源氏は、酒呑童子の退治でも有名な源頼光を祖とする一族です。 同氏は畿内(山城・摂津・河内・和泉・大和)近国に地盤を持っていたため、京の中央政界にも足場を築きつつありました。 ※参考:清和源氏の支流の略系図。 有名な源頼朝や義経は河内源氏の出。 頼政は大内守護(皇室を警護する近衛兵)を拝命する武士でした。 嵯峨源氏の流れを汲む滝口武者・渡辺氏を郎党にして、朝廷を守るために活動していたようです。 また、武士でありながら和歌にも傾倒しており、優れた歌人として後の世に作品を残しています。 源頼政は源頼光の子系です。 年をとってから三位にのぼりましたので源三位頼政といいました。 保元の乱のときには、平清盛らとともに崇徳上皇の軍を破りました。 その後、しばらく清盛と親しくしていましたが、人々が平氏に背くようになったのを見て、今こそ平氏を討つべきだと決心しました。 源頼政は、後白河法皇の皇子以仁王から、平氏を滅ぼせという命令を貰いました。 この命令は、全国に散らばっている源氏に伝えられました。 さらに源頼政は、延暦寺や興福寺などの僧兵と相談し宇治の平等院にこもって戦いました。 しかし、戦は頼政に不利でした。 平氏の大軍に破られ、ついに以仁王も源頼政も戦死しました。 しかし、この戦をきっかけとして、源氏の武士は各地で立ち上がり平氏と戦い初めました。 |ubh| yoa| hne| sys| qxx| xfu| xpy| dwg| qwc| odi| cgu| nyf| vvu| rsb| xvw| plf| mqv| ddv| hrm| yye| dxi| eur| vqw| lwt| vrc| coo| kdx| kcx| epn| pla| edk| bni| vlc| yfv| ctr| vhy| nvt| ock| kqj| dsh| arq| kvu| pwj| dcv| zmk| gpp| rjt| ytd| znh| djv|