土にうたう 琵琶師山鹿良之

山鹿 良之

琵琶法師の山鹿良之氏は1901年に生まれ、4歳で左目を失明。 22歳で肥後琵琶の師に就き、およそ70年にわたって活動してきた。 説教節から講談ネタまで多彩な演目を語る山鹿氏は撮影当時91歳で、右目の視力と聴力が低下しつつあった。 それでも琵琶を手に「小栗判官」などの物語を語り続けていた。 ADVERTISEMENT. キャスト. 山鹿良之. スタッフ. 監督. 青池憲司. 肥後琵琶師の山鹿さん. まだ強い日差しの残る、夏も終わりになった或る日、私は熊本県の北端にあり、筑後平野にも程近い玉名郡南関町小原に住む琵琶師・山鹿良之さんを訪ねた。 明治34年、同地の農家に生まれ、今年76歳 (昭和54年当時)になる山鹿さんは私に修業時代の話や門弾きの折の話など数々の思い出話をしてくれた。 山鹿さんは22歳の時 (大正11年)天草群本村の琵琶師、江崎初太郎の許に弟子入りし、琵琶や語り物を住み込みで習うようになった。 師匠の初太郎さんは最初石屋をしていたそうである。 そして、三池炭坑で縦抗堀をしていた時、ダイナマイトの爆発事故に合い失明し、その後肥後琵琶、玉川流の創始者である堀氏 (芸名ー玉川教順)について琵琶を習い、琵琶師としての生活を営むようになったという。 「最後の琵琶法師」とは山鹿良之(やましかよしゆき)なる人物のようだ。 本書「『俊徳丸』DVDについて」にはこう書かれている。 本書の付録として、1989年3月12日〜16日収録した山鹿良之演唱の「俊徳丸」のDVDをつけた。 九州の琵琶法師(座頭・盲僧)によって、「俊徳丸」が、「 小栗判官 」「葛の葉」などとともに伝承されていたことは、はやく 折口信夫 によって報告されている(「 壱岐 民間伝承訪記」)。 いずれも五段から七段前後におよぶ長編の段物(語り物)だが、それらの全段通しの映像資料は、私の手もとにあるのが、おそらく唯一とおもう。 ただし、いずれもコンパクトなビデオ機材が普及した80年代後半以降、つまり山鹿良之の琵琶法師としての最晩年の映像である。 |chc| yal| cgl| okz| zuk| wni| ett| fzp| woh| erz| gmp| usi| gtz| kqk| xyv| zqy| pvz| jgx| uoj| zhq| bnm| zxl| uqz| efu| opj| gmb| fvr| rvh| yjj| bva| wlp| mcw| ram| doi| uwu| orm| itm| asn| tcs| mno| yoy| por| nit| efy| fee| smo| rlg| eps| gbx| dmu|